守護者として名古屋から鳴らす——futo kaedeが貫く、ヒップホップへの純粋な愛と覚悟

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大阪と東京に挟まれた名古屋の街から、揺るぎないヒップホップの美学を発信し続けるfuto kaede。シーンの変遷のなかで自らを「守護者」と称し、泥臭くも真摯に音楽的ルーツを体現し続けるその姿勢は、今の日本のヒップホップ業界において異彩を放っている。制作の裏側から地元への愛、そして未来に見据えるビジョンまで、表現者の現在地に深く切り込む。

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文責・取材:Yasuho(@__dullscythe__)

話者:futo kaede

運営・事務所:Dress Code Society(@dresscode)

取材日:2026年7月31日

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大きなインタビューが出ているものが高校生ラップ選手権で最後なので、その後についてを主軸としてお話を伺いたいです。高校生ラップ選手権などに出られる年齢が終わったりして、純粋な心境の変化や不安などはあったりしましたか?

―昔よりかは当たり前ですけどバトルとかも出なくなって、言ってしまえば一時的な収入も減っている中で…普通にアルバイトとかもしているし、正直。そういう現状の中で音楽をやるっていうのは、当然初心には戻されるし…。でも、その中で背伸びしていないという意味で言うと、MCバトルに出ていた頃のプライドみたいなところは、本当に良くも悪くも残っているところがあって。良い意味で捉えている時もあるんですけど、ネガティブな意味の時も多いというか・・・それは思いますね。そこに関しては自分を律するように努めているというか。

早い時期からの活躍があったからこそ、その後に良くも悪くも苦しんでしまうというか。

―そうですね。バトルに関わらず、いい大人と出会わせてもらったりとか、普通の人ではできない経験、例えば大きなステージも、ライブという面に関してもAH1でやらせてもらったり。割とその点で言うと、高校生からちょっと環境が変わっていく中で、ある種リセットじゃないですけれども、また違うステージに来たな、という感じがありますね。でもその中でもライブを評価してくれる周りの人とか、そうやって呼んでくれる人とかに対しては感謝もありますし、嬉しいところもありますね。

すごいですよね。早い時期からMCバトルにも出ていて、かつライブでもバシッとやっていて。

―でも本当に運がいいと思っています。(今まで出会ってきた)大人と今でも仕事をしているかとか関係なく、凄く感謝しているし、あの時の自分は本当に運が良かった方だと思っています。特に自分の世代の中でも。

なるほど。これはインタビュアーの僕の意見というか、考え方なのですけれでも。僕自身は運が良かったという考え方はあんまりしてなくて…むしろ正当に評価されているな、という印象だったんですけども…

―でもこれがもし1年下の世代だったらとか、逆に2個上のコロナに高校生ラップ選手権が当たった世代、いわゆる幻の17回の世代だったら、変わっていたかもしれない。あそこの世代だったら、僕は同じように頑張っていても違ったかもしれないですね。逆に言ったら、その一個下二個下だったら、自分と同じくらい成績を残していても、同じような巡り合わせにはならなかったなと思っているんで。自分としては凄く運が良かったし、それで言うともう第2回激闘ラップ甲子園で知葉瑠がchance君にジャイアントキリングした頃から、もう歯車が回っているなと思った。決勝まで行けて、甲子園賞取れて、NAOさん(NAOtheLIZA)と出会ってみたいなところも…運が良かったなと思っています。シンプルに頑張ってよかったなって思います。

なるほど、僕はそれを踏まえたうえでも順当に実力が評価されていると思っているんですけど(笑)
運が良かったっていう言い方は、あの時は良かったなって思いいなのか、あるいは、いや、もっと頑張らないとなって考え方が変わったのか、どちらですかね?

―ネガティブに捉えているかっていうと、そうではないんですけど、自分の目指している理想像と、立たせてもらったステージとの乖離はなんとなくあるというか。ただ、そこまでで培ったものに関しては活きていないなって思う瞬間は基本的にないので。自分の中のプライドというか、重みとか弱さみたいなところに向き合わないとなっていう気持ちが強いですね。

その後は曲の方にシフトしていったと思うのですけれど、直近だと「inside」。めちゃめちゃ良かったですね。

―このインタビューを見てくれた人に、「futo kaedeってどういうアーティストなんだ?」って言われた時に聴いてほしいのが「inside」ですね。

確かに、futo kaedeくんの自己紹介にあたるような曲だなと私自身感じていました。あれはどのような経緯で作られた曲でしょうか?

―結構自分としても、うまくいかない時期みたいなのが続いていて。それは自分の内面的要因でうまくいかないことも多かったんですけど、特に外部的な要因でドサドサって崩れ去っていく感じでうまくいかないことが多くて・・・そういうやりきれない気持ちもありつつ、ビートチェンジのビートに乗せたっていう…ふわっとした内容なんですけど。

いや、でも本当に凄くよかったと思います。何とも言えないやりきりなさをグッと音楽として表現、昇華する感じが。

―自分自身ミッドチューンのところで、「固め直すinside」って言っているんですけど、もう一度、土台を固め直すというか、最後には進むとか、そういう自分自身の意思を形にした楽曲って感じですかね。

これはNAOtheLIZAさんとかも関わっているんですか?

―そうですね。「inside」以降にリリースした3曲は全部NAOさんのスタジオで制作しています。

では、ほとんど共同制作者みたいな感じですか?

―そうですね。最近はそういう感じではないんですけど、楓名義の時は本当にお世話になったという感じです。アドバイスとかもそうですし、スパッと言ってくる時はすごく言ってくださいますし、レコーディングとかもお世話になって。真摯にぶつかってくださるというか、自分も「この方がいいと思います」って言う時もあるんですけど、「いやでもこういう作品はこうだと思うから、俺はこの方がいい」みたいにプロデューサーとして的確な打診をしてくださいますし。フローに関しても、こういうこの人みたいな感じのニュアンスを足してもいいと思う、とかもデモの段階で言ってくださったりして。僕は本当にNAOさんには感謝しきれないというか。自身にとっても、NAOさんとの出会いだったりは、後の制作だったりにも大きな影響を及ぼしていると強く感じます。

その後リリースされた楽曲で「blood」がありますが・・・まぁ、いろいろありましたよね(笑)

―いや、本当に、俺、親とかにも心配されちゃって・・・(笑)
僕より僕のお母さんが顔真っ青になって、「ええ、まじでごめん・・・」みたいな感じなんですけど。

まずあの曲に関してですが…大前提としてあれは彼が恋愛リアリティショーへの出演が発表される前からもう出来上がっていた楽曲ですよね?

―そうですね。もうあの曲自体はもっと昔からあって。だからビーフみたいなものではない。たまたまリリースタイミングが重なっただけです。でもその油の注ぎ方とかは、自分のスタンスとしても良くなかったなと思います。ただ、別にずっと同じことは思っているし・・・反省はしているんですけど、後悔はしてないみたいな。いや、自分はこういう考えだ、ということを訴えたという。もちろんやり方とかはその良くなかったかな・・・SNS上で指摘いただいたことも、やり方がちょっと・・・みたいな感じだったんで、それに関しては間違ってはないのかなと思います。

親御さんが心配したって話が一番おもしろいですけどね。そういう感じだったんですね。その後も、引き続きリリースがあった中で、今年の大きな活動としては¥ellow Bucksさんの企画「Player’s Tuesday」に参加したことですかね。どのような経緯で参加したのでしょうか?

―DJ RYOWさんのDream Teamってアパレルで働いているラッパーのB MONKEYくんから「ちょっとこの日にここに来てほしいんやけど・・・」みたいな感じで。わかりましたって言って、lonelowとOWGとソワソワしながら行って。3人でとりあえず1曲決定して。本当にありがたいぐらいSPACE DUSTのビートを聴かせてもらって、選ばれたって感じですね。

ちなみに¥ellow Bucksさん自身とはその前からもつながりはありましたか?

―そんなに関わりはなかったですね。もともとRYOWさんの前作(「It Was All A Dream」)に収録された「New Generation」という楽曲で選ばれているラッパーの方々とかもいて、そこと話したり、いろいろその街をディグったり、しているっている中で多分見つけていただいたというか、っていう感じだと思います。

どうですか、純粋な感想として参加してみて。

―いや、今リリースパーティーが終わった直後というのもあるので・・・すごく、ちょっとまたひとつの青春が終わったなみたいな。毎週火曜ガレージに集まって、先輩のラッパーたちとああだこうだ言って、ピザ食べてみたいな。ちょっとこれも一個の青春だったな・・・みたいな。

素敵な話をありがとうございます。そして、このタイミングで楓という名前からfuto kaedeという名前に変わったと思うのですが、名義の変更に関してお話を伺ってもいいですか?

―結構ギリギリまで悩んでいて。それこそGarage cypherの映像が最初にできているときはまだ変えられる感じで…で、ちゃんと編集して送り直すわってなっている段階で¥ellow Bucksさんに電話したという感じですね。

ちなみにどういう経緯で名前を変えたんですか?

―いろいろ理由があるんです。単純な理由で言うと、もうエゴサができないっていう。例えばそれこそ高ラとか出ている時に、僕の名前で探すとヒットしなくて。情報が見られないのがひとつ大きい。かと言って情報をめちゃ気にしてるタイプではないんですけどね(笑)
あとはシンプルにその自分としてもフェーズ2だなって思ったこともあって、ちょうどこのタイミングだなと。自分も新しいプロジェクトの始動タイミングだったので。

改名については誰かに相談したりしましたか?

―自分の仲間とかに相談しつつ、最終的にはNAOtheLIZAさんにいいんじゃないって言ってもらったのが、自分の中で決め手だったなっていうのは思っています。

凄く素敵な名前だと思います。由来は本名ですかね?

―そうですそうです。僕はもう高校生ラップ選手権の紹介動画で本名が3回晒されているので(笑)
もともと楓人という名前から楓って取っていて。そこから本名とくっつけた感じですかね。あとはもともとインスタのIDもこれだったのでなじみやすいかなと考えてこれにしました。

最近で言うと、先日スタジオを建てたというストーリーを投稿されていましたけれども、経緯について伺ってもいいですか?

―自分がもともとMCバトルの賞金とかを宅レコ用の機材とかに使っているタイプで。自分の家とかが機材で充実していたタイミングで、よく仲間とかとスタジオが欲しいよね、みたいなことも話に上がっていて。実家から市街地まででゆったりできる場所もないし、街に出るまででも遊びづらいみたいな立地の面で悩みがあって。加えて制作にもスタイルとして変化が必要なのかなと考えたり、仲間の提案もあったりという感じで。自分自身レコーディングやミックスの勉強もしているので。そこに対しても自分のレベルアップを図りたいなということでスタジオを建てました。

実際にスタジオを建ててみて制作環境に変化はありますか?

―夜中に声出してできるんですよね。(笑)もともと実家が木造だったので、すごく声が響くんですよ。親がルールでちゃんと定めてくれていたので、夜中11時以降とかは音を出せなくて。だからその頃はそれこそ夜中の道闊歩しながらラップしている変な人とかになっていたんですけど。今まではリリックを書いて、もう全部書き終わってその日に録るみたいなこともが多かったんですけど、最近はいろんな制作スタイルを試すようになりました。ただ基本の部分は変わっていないですね。自分の手数が増えたみたいな。自分の中でも結構、良くも悪くも結構そこそこ全部こなせちゃうというか。だからこそ何が自分に合っているスタイルなのだろうかっていうのは、まだまだちょっと時間がかかっている時期でもありますね。

ご自身でミックス、マスタリングの勉強をされているという話もありましたが、ビートメイクなどへの関心はないのですか?

―そうですね、トラックはちょっとね…マジでセンスなくて。練習していきたいとは思ですけど、これをずっとやっていると、ラップがさすがにできなさそうだなっていう。特に自分が偉大なビートメーカーの方々と関わらせていただけたからこそというのも自分の中であるかもしれないです。マジか、って食らったところがありますね。

何かを選ぶ選択と何かを捨てる選択をしないとバランスがっていうのがあったんですかね。

ここからはご自身の音楽スタイルについて伺わせてください。
何度も言われたことかもしれませんが、futo kaedeくんのラップスタイルは本当に唯一無二のものだし、今まで居そうで居ないタイプだな、という印象ですけれども、どういうアーティストの影響を受けていますか?

―みんなが聴いているような同じアーティストを始めは聴いていましたね。自分的には特にJJJさんとか、C.O.S.Aさんとか、心の底からかっけえな…と思えました。あとNF Zesshoとかすごく聴いていたな、といたという感じです。「6号公園」というC.O.S.AさんがSoundCloudにあげている曲があるんですけど。自分も愛知出身なので、その本当の6号公園で「6号公園」を聴くためだけに、夜中友達と車走らせて行って。他にもJJJさんの大阪のワンマンとかも遊びに行って、beautiful mindのMVとかにチラッと映って。そのファーストインプレッションっていうと、jinmenusagiさんとかもそうです。あとはUSで言うとDrakeとかKendrick lamar,Baby Keem,Tyler,The Creator,Mustardとかですかね。
ただ自分の黎明期というか、最初に自分をかたどったものは、日本語ラップのそういうのかなって感じがします。

先日リリースされた「Get A Life (feat. RENCH & futo kaede) [Remix]」でも、ご自身のことを”ヤング老害”という表現で用いていたりしますけれども、その自身のスタイルは古いものだと感じていますか?むしろアレンジしているからこそ逆に新しいものだと感じていますか?

―こう、難しいですね。僕は自分のことニュースタイルヴィンテージとかも言ったりしていて。どの時代でも、どれだけ新しいヒップホップが増えようと、ど真ん中のヒップホップをやる人って絶対いると思っているので。ヒップホップでかっこよければ、多分その方が逆に僕が目立つと思っている。だから全然そこについて否定するつもりはない。ただ、新しいものっていうよりかは、僕はその点で言うと新しくはないと思います。
それこそ直近でラップEJさんがその動画とかあのニュースクールじゃなくて、守護者と革命者みたいな言い方。そのカルチャー的な話で言うと、守護者みたいな立場にあたります。
これは、 1%ののマネージャーのAbe Mariaさんという方が僕と話した時に言ってくれたことなのですけど、どんな様々なヒップホップがあっても、ど真ん中でヒップホップやる人がいるみたいな。かつてのOGたちももちろんですけど、自分は真ん中のヒップホップを、土地柄と共に、守護者として、やっていくべきなんだろうな、っていう認識があります。

なるほど、その考え方はとても面白いですね。

―でも、どっちも必要だと思っているんで。革命を起こすことも大事だし、その中で守り続ける者がいるからこそ、一定の形を保ちながら正しいものが生まれてくるのがヒップホップの良さと思うんです。

僕自身の印象としては、最近その割とその守護者、いわゆる守る側に回る人っていうのが少ないっていうか。みんなどちらかというと革命者側に回りたがるような印象です。だからこそfuto kaedeくんみたいなタイプがレアだな、とも思うんですよね。

―凄く難しいんですけど、ヒップホップをどう見ているかみたいなのを。ビジネスとして見るのがもう今の時代じゃ当たり前になりつつあるというか。ただ自分はライフとか、自分自身へのセラピーみたいな意味もかなり強いんで。両者の捉え方の違いは、善悪とかじゃなくて、認識の違いで生まれてくるものなのだろうなっていうことなので。

ご自身の音楽観のあり方についても是非伺いたいですね。

―これは結構自分が高校時代から言っていることですけど、自分を救えることが何よりも重要だと思っていて。僕から見ていて、百万人を救えていても、逆に自分が救われてないアーティストもすごくいるなと思っていて。僕もそういう人に救ってもらった面はあるんですけど、逆に僕は自分を救うみたいなところが、多分、人を救うところにつながると思うし。音楽で人を救いたいっていうのがめちゃくちゃあるとかではないんですけど。ただ、自分は名古屋って街が凄く大事だし、ただ真っすぐなヒップホップをやりたいタイプなので。あとライブ。ライブできないと意味ないっしょ、ということも強く感じているので。

僕はそのfuto kaedeくんのなんだろう、「型にはまらなきゃいけないところはまんないとダメでしょ?」みたいな、職人のスタンスというかはめちゃくちゃ好きです。

―日本語ラップの系譜を引き継いでいるからこそ、そういう影響はかなり大きいですね。日本語の美しさとかもあると思うから。音楽に特化していく中で、現代の日本語ラップが、そういう言葉みたいなところは大事にしたいなって思っています。その中でもせめぎ合いますね。そのいいフローっていうか、多分その新しい現代的なフローを多分取れるところで、多分その言いたいことっていうか、その言葉を優先する時期も結構多いんで。そこは多分ちょっと現代の音楽家の中では結構その特異な方なのかもしれないなと思います。

先ほど自分がすごい名古屋の街が好きだっていう話をしてらっしゃったので、改めて地元についてもお聞きしたくて。活動を始める前、活動を始めた初期、今と、ずっと名古屋の街にいる中で捉え方は変化したのか、あるいは変わらないものなのか、どのように捉えているでしょうか?

―流石にヒップホップと接していく中で、多少街の印象が変わっていくというか。僕の場合早くからラップを始めてしまったので、始める前に名古屋のシーンに対してどう思っていたかというのは、正直ちょっとわからない部分もあるんですけど。でも僕は名古屋のヒップホップの系譜が凄く好きだし、未だにちょっと泥臭いところみたいなのが残っているのが凄くいいなって思っていて。
それこそPlayer’s Tuesdayのメンツって、Spotifyのリスナー数で決めてしまったら、多分違うメンツで構成されるんですよ。あのメンツも全員名古屋のクラブで毎週末ちゃんと遊んでいる人たちみたいな感じ。そういう泥臭いところとか、大御所のDJ RYOWさんたちが率先してやってくれているところ。そういうところにヒップホップとしても、それ以上に街としても魅力を感じるというか。加えて大阪と東京に挟まれているじゃないですか。そこに対しての対抗意識を東京に出ていくのではなく、名古屋にいながらそこと争うみたいな。そこが昔からの美学をすごく感じるというか。

それは地方出身者としてのありかたみたいな?

―そうですね。日本語ラップの本当に古い時代に遡ると、TWIGYさんとかって東海出身なんですよ。東京に出てきた人たちもいて、その中でその名古屋に残り続ける人たちはどうやって東京に戦うのか。僕は地方ヒップホップのあり方みたいなのを示したのは、北海道と名古屋だと思っているんですよ。だから、名古屋に住んで、名古屋でお金を落として、名古屋にいながら、その東京の人たちをに負けないことを歌うみたいなところのかっこよさは自分も意識していますね。
でもその東京に行ったからといって、別にその何か卑下するわけではないんですけど、そういう人たちのあのかっこよさにも自分は憧れています。

futo kaedeくんの話を聞けば聞くほどヒップホップに対する純粋な愛も感じられますね。

―不条理も愛することもひとつ大きいですかね。自分もちょっとこの先出す曲で書きましたけど。不条理とかも、その甘んじて受け入れられるのは、そういう昔からの系譜があるからかなって自分は思っています。

地元のお話になりましたので、是非お世話になっている先輩などについても伺いたいです。

―自分が一番そのお世話になっているなって思う先輩はその、唾奇さんらが所属しているpitch odd mansionのAce the Chosen onEさんとRAITAMENさんの2人で。ヒップホップのカルチャーに属したバーを名古屋で経営していて。そこで自分も普段働かせてもらっているんですけど。
実際いろんな人とつなげてもらって、自分としてもその可愛がってもらえて。僕ほどその関わりがない同い年のパーティーとかに、誕生日おめでとうとか言って、シャンパンをポーンってあげて、パーって、そのまま帰るわって。「いや、かっけえ…」みたいな。パーティーになったら誰よりもその自分が率先して飲んで盛り上げいて。それで結構飲んだくれになって、その同い年ぐらいの人から怒られてたりとかもあるんですけど(笑)、そういう意味でも可愛げのある人というか、尊敬できる先輩って感じですね。pitch odd mansionも國枝慎太郎さんという人が主宰ですけど。実際、僕もそういうこと関わりだした頃ぐらいに名古屋で700人ぐらいでワンマンしているのを見て。それもそれで1個の目標というかを見させてもらったというか。地域密着型のラッパーの1個の答えだなって思っています。

今後についても是非伺いたいです。現在アルバムの制作をされているというお話を伺ったので、差支えない範囲で教えてください。

―何曲入りにするかとか、アルバムにするかミックステープにするかとか、まだ練っている途中ですけど、futo kaedeとして出すまとまった最初の作品となると思います。楓時代はいろんなことにチャレンジしていたみたいなところが大きくて。歌みたいな曲もあったし。自分の従来の前のめりなラップのspit中心の作品に戻した上で進化を見せたいです。
これに関しては自分としてネガティブに捉えてなかったんですけど、その10代はいろんなことで挑戦する世代っていうのは、いろんな方に言ってもらえていたんで。20代になって、その成熟した今、そのどういうことが自分がしたいのかみたいなところを、アルバムを通して魅せられるように作っています。
嬉しいことにfeatの依頼も頂くことが多いので先にそちらが先に出る可能性の方が高いかもしれません。タイミングでシングルも小出しにできたら良いなと思っています。

ありがとうございます。今後どういう活動を続けていきたいですか?

―そうですね。自分としては息の長いラッパーでいたいなっていうのはすごく思っていて。それはダラダラやっていたいというわけではなくて。自分の中ではその十年先も自信を持って歌えることを歌っていきたいというか。おじさんになっても自信を持って、 20代の頃の作った俺のラップの歌はかっこいいし、いいこと言っているって思えるような曲を作り続けたいと考えています。一時的な作品というよりも、長く聴かれる作品に僕は魅力を感じるので。ずっと聴いてもらえる作品、クラシックを目指しています。

ここまでのご自身のキャリアは順風満帆でしたか?それとも、かなり苦しかったですか?

―俺イケイケだぜって思ったことは正直1回も無いかもしれません。特に自分は根暗なので…作品を出す時も、他人の後押しがないと出せなかったりして。作品って直感も大事なので、スパって出すのも必要だったりするんですけど、もう考え出すと止まらないじゃないですか。あんまりマイナスに捉えてないんですけど、音楽に対するしんどさみたいなのは少なからずありますね。ずっと楽しい、マジで最高、こんな曲作ってやれる人生最高、みたいなタイプの人間ではない。
ただ、どこかで作品を生む上での、自分と向き合わなきゃいけないところの、プラスもあり、マイナスもある感情っていうのは、自分の中ではあるタイプなので、周りに「いや、最近調子いいじゃん」とか言われてもそうですね…みたいな。「実際、今書いている曲は行き詰まっているし…」とかなっちゃうタイプなので。
だからこそ、冒頭の話のように運が良かったみたいな表現になるかもしれないんですけど。でも感謝はしているし、ありがたいとは思っていますし、そこを自分のものにできた、ところは、いつかは褒めてあげたいなって思いますね。今ではないかなって思っています。

今後一緒に仕事をしてみたい人はいますか?

―Isaac Y. Takeuさんのポッドキャストとか出たいですね。後は渡辺志保さんとか。志保さんの夫の黒川慎太郎さんとはお仕事させていただいたことあるからこそ思いますね。後はJJJが好きなのでDaiki Miuraさんとかも。トラックメーカーとか言い出すとね、ちょっときりがないと思うのであれなんですけど、そのトラックメーカーとかラッパー抜きだったらそこら辺ですかね。

貴重なお話をたくさん聞かせてくださりありがとうございます。futo kaedeくんの更なる活躍を心から楽しみにしています。本日はありがとうございました。

https://www.instagram.com/kaede_futo

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